ユーザ用ツール

サイト用ツール


サイドバー

ロシアンラリー

ロシアンラリー 1992年に第一回が開催された。 当時は新潟港からフェリーでウラジオストックまで車両とエントラントを運び、宿泊もその船を回送して泊まったりした。 最近は世界情勢(特にアジア)の問題で開催されていない。 旅行以上冒険未満をコンセプトとしている。
海外ラリーへの登竜門として人気を博した。

元々4輪系のクロスカントリーラリー開催を行うべく開催地を探していたグループが、ひょんなことからロシア・ウラジオストックでの開催へと変化したと伝えられる。第1回開催から数回は当初グループによる開催だが、第3回目辺りから現オーガナイザーである森久氏へバトンタッチされた。
故に第1回から全てのロシアンラリーに参加した人物は、オーガナイザーではなく一般参加者のM氏のみとなっている。
途中からウラジオストック・モーターサイクル連盟との共催へと変わり現在に至る。フェリーによる渡航・宿泊は2004年まで。2005年よりは飛行機による渡航、ホテル・ダーチャ泊へと変わる。
開催開始年は不明ながら、ロシアンラリーに触発されたロシア人民により沿海州ラリー選手権が開催される事になる(年5戦)。開催フォーマットやルートマップの記載方法などにロシアンラリー方式(西巻式)が散見される。
2005年時点で既にロシアンラリーは沿海州ラリー選手権第2戦との共催となる。(日本人エントラントは同一マップを使用しつつ別枠で走る)
近年ではハードエンデューロの人気もあり、沿海州ラリー選手権もルート選択にエンデューロライクな物を取り入れることが多く、ハイスピードレースのイメージが強いラリーレイドとは一線を画す。
また、気候や地質、地形的な条件によりとにかく寒く水気の多いレースである。1日に幅10m前後の川を十数本渡河する事もある。インフラの未整備状況によりダート率は高いが、インフラが未整備過ぎて「現場へ行ったら川の形が変わっていた」「橋が落ちてた」「道と言うより誰かが走った跡」と言った状況がよく発生した。また、「コンクリート道路だと思って走っていたら滑走路だった」「やたらと重機が走り回った跡があるなと思ったら軍の射爆場だった」「海岸沿いのルートが満ち潮で無くなっていた」などロシア人民ならではのアバウトさと強引さで組み立てられたルートは別の意味でハードな物となった。
近年では原点回帰を模索しながらも、国際情勢等の影響もあり2015年を最後に実質的に開催されていない。(沿海州ラリー選手権自体は開催されている模様。2015年は風水害の影響で開催初日になってキャンセルされた。)

★参考動画
2014年 https://youtu.be/0ZUzGnqa7MU
https://youtu.be/wQGGOeJn-u8
2013年 https://youtu.be/KfjKgLhov5I
2005年 https://youtu.be/0G7fPrl83VI

【公式動画】
https://youtu.be/lMV-3MFWk4U

ロシアンラリー.txt · 最終更新: 2021/04/06 15:03 by mizutani